2022年4月15日金曜日

(224Fa) 「一の谷合戦」 戦場は「須磨」ではなく「鵯越」との説

 【 一の谷合戦 ・ 鵯越 】今回の「鎌倉殿の13人」、ドラマは間もなく義経の見せ場、神戸・一の谷の合戦へ移る。実は近年、地元の郷土史家の間で、この戦場が鵯越との説が広がっている。その根拠をたどった。


 義経は天才戦術家で知られる。不利な戦場で敵の裏をかき、平家の名将を一蹴してきた。「一の谷合戦」はその代表。山の急斜面を下る「逆落とし」の奇襲を仕掛け、源氏軍の勢いを決定づけた。

 

 戦場は、長らく神戸市須磨区の一ノ谷町近辺と伝わってきた。時代劇で描かれる定番はこんなシーンだ。

 義経軍は須磨浦公園の背後にそびえる鉢伏山に入り、騎馬軍が険しいがけを駆け下る。海岸付近の平家本陣は意表を突かれて大崩れし、船で沖へ逃げる。

 しかし当時、平家の勢いは衰えておらず、大軍を擁していた。山が迫る狭い須磨の海岸付近に大軍を置く可能性は低く、無理がないだろうか。主力は、同市中央区の生田神社から遷都を企てた同市兵庫区の福原付近に展開していたと考えるのが自然ではないか-

 

 源平盛衰記の「一の谷の後ろ、鵯越へぞ向ひける」の一文に着眼し、あたかも一の谷の背後に鵯越があったかのように曲解された要因、とする。

 「古文書の著者は神戸の地形をよく知らなかったのではないか」と分析。戦いの場所を神戸電鉄鵯越駅付近を北西から南に走る山麓バイパス付近と推定し、夢野方面へ進撃したとみる。

 「鵯越からは平家の水軍が集結していた大輪田泊をはじめ本拠地が見渡せる。戦略的にも価値がある」

 

<情報源>

【情報源タイトル】 源平絵巻、義経奇襲の神戸「一の谷合戦」 戦場は「須磨」ではなく「鵯越」との説

【情報出所URL】 https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/202204/0015217272.shtml

【情報発信元】 神戸新聞NEXT  2022/4/13 20:10



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